油壺に出かけた話
どうもぎんなんまんです。今日出そうと思って書いてた「ここが不安だよ東京五輪」記事が諸事情で没になったので、油壺に行った時の話をまとめておきます。
油壺験潮場
が、現在の憲政記念館構内に存在します。この日本水準原点は東京湾の平均海面を0mとして水準測量によって決定されていますが、実際に水準原点の高さを点検する際の基準として用いられているのが油壺験潮場の潮位観測結果です。
京急三崎口駅からバスで油壺まで向かいます。油壺のあたりは海水浴場があるらしく、大変にぎやかな方々がお車や観光バスで乗り付けてきますがそれらには背を向けて道路沿いに少し歩くと
こんな看板が見えてきます。海岸へ下る階段があるのでそこから下っていくとまず見えてくるのは油壺の静かな湾……の前に基準水準点が出てきます。
柵と植物に囲われており本体は見られなかったのですが、日本全国にわずか83点しかないとのことでかなり希少性を感じます。
少し下ると油壺湾が見えてきます。
この写真の右手の建物が油壺験潮場の新しい施設です。
外観は新しいためかなりきれいです。内部にはエアコンがあるようで、案内板の下に室外機が設置されています。
またその奥には古い験潮場施設がありました。
この建屋は明治期から験潮に用いられていたもので、イギリス積みのレンガがよい雰囲気を出しています。平成30年には土木遺産に認定されたとのことで真新しい標識が取り付けられていました。
油壺の戦争遺跡
油壺験潮場のあたりを見渡すと、放棄されたと思われる桟橋があります。
とても古く、小さいこの桟橋についてググったところ、以下のブログを見つけました。
このブログによると、油壺には大戦末期に水上特攻兵器「震洋」の基地がおかれており、この桟橋も震洋のためのものであったとされています。
三浦半島は隆起によってできた海岸段丘の地形で、特に油壺周辺は露頭もみられる地域です。おそらく段丘崖を利用して特攻兵器を格納していたものと思われます。
*2019/08/14追記
国土地理院の「日本の典型地形」を閲覧していたところ、油壺湾はリアス式海岸とのことでした。事実誤認申し訳ありません。
地理院地図URL
明るい砂浜ときれいな海のまさに反対側にこのような遺跡が特に保護されたり案内されることなく存在しているということはもう少し知られてもよい事実なのではないかと思います。
おわり
ざっくりと油壺に出かけてきたよというおはなしでした。日本水準原点と日本経緯度原点はすでに訪問済みだったので唯一の心残りだった油壺に行けてよかったよかった、と思いきや、東京湾の平均海面の基準となっていた場所が都内にあるため、今度はそちらを訪問したいと思います。今では埋め立ての進行で東京湾と言い張るのは無理がありそうな土地ですがまたいつかブログにするつもりです。
戦争遺跡については完全に知らなかったためかなり驚きがありました。東京湾周辺の戦争遺跡としては、以前千葉県の大房岬*2にある大房岬要塞跡は行ったことがあるものの、油壺はかなり簡素な印象でした。
それではまた。