大学生みたいな記事
こんにちは。
3年の夏学期も終わったので振り返っていきたいと思います。というのも今学期はいろいろとイレギュラーだったので記録を残したいと思ったためです。人間の皆様に向けたメッセージではございません。
このブログ記事はぎんなんまんという一個人が、ある大学のある学部・学科・コースの3年次の夏学期の講義を受けた感想であって、○○大生という大きい主語ではほとんど語る予定がありません。
2年春学期末
3年の夏学期の話をする前に2年の春学期末の話をします。2年の春学期にはコースの必修であるところのフィールドワークが予定されており、その準備が一応一学期かけて行われていました。直前まで実施の予定でしたが、2/24に専門家会議の「見解」、2/26に政府によるイベント自粛要請、2/27の全国小中学校休校要請と動きがある中で2月末に中止となりました。今から考えれば3月に強行してもよかったのではないかという気がしますが、非常に真っ当な判断でした。
直接の影響は2月末から出ていたことになりますが、3月中は比較的平穏で入構も規制がなく学生室にも出入りしていました。人生万事塞翁が馬車馬な先輩はすでに学内のナニカに携わって忙しそうにしていたのを憶えています(でもこの先輩に関しては忙しそうにしてないときがない気もします)。井の頭線の回数券も3月半ばには購入して、定期購入まで持ちそうだなと思っていましたが期限が切れて今も手元に4枚残っています。👈4枚?
一方学部・全学の指針も3月中~下旬にかけて相次いで発表されオンラインでの講義化の流れがどんどん出てきました。その頃になってようやく本当に大変なんだなぁといった気持ちでとりあえずZoomで遊んでいました。バーチャルな背景を用意して遊んだり、顔出しを迫られても大丈夫なようにボイチェンとFaceRigでバーチャル世界の容姿を整えたりしていたのもこのころだった気がします。
3年夏学期
(3月末~4月末まで)
3月の末から4月の頭はサークル*1の行事を中止にしたり、オンライン化の準備のため部屋を片付けて各種機器をセットしたりと精神的には慌ただしく、実際の行動としては何もなく過ぎていきました。4/3に入構した後は6/21にラーメン屋の閉店に合わせて学生室内の荷物を回収した時を除いて大学にはほとんど行っていません。4月当初は講義もない一方で騒がしい世間と一緒にツイッターで波風を立てていました。
講義は多少の混乱を除いて大きな問題なく進行し(主観)、オンライン化によって講義を自宅で受けられるメリットは享受しました。たまたま運よくPC周りの環境を昨年末に整備し、運よく実家で十分なインターネット環境・自室環境が存在し、運がいいのか悪いのか3年次だったためうまく乗れたのですが、一方で外出しなくなるとストレスがどんどん溜まっていきます。そのため近所の散歩を開始してある程度の知を得ました。大学関係の交友は主にツイッター、そして5日に1回開催し時々参加していたバーチャル学生室での教室の学生のみなさんとの会話で補われました。もともと人間関係が乏しかったので大きく影響を受けることはありませんでした。
講義のオンライン化は環境面では恵まれていたものの本体がだめだったため、ツイッターとの二画面で受講、ノートはOneNoteでしょぼしょぼと取りましたが身についたものは少なく、振り返ってみると無が多かったように思います。今後も続くと思われるので集中できる環境をセットできなかったとことに敗因があるので何らかのツール導入や情報量のコントロールを図りたいですね。
5月~6月中旬
ここからが長かった、4月後半以降は毎週毎週同じ時間を回り続けていた記憶しかないのですが、5月中に学内のアルバイトに就いてすごい現場の裏をちょっと覗いたり、たまに散歩したりして過ごしていました。無為でした。ここらの記憶が全くないことに驚きを隠せないですねぇ。ほーんとなにやってたんだか。このころから図書館資料を郵送してもらえるようになり、興味のあった本を手元において懇ろな関係になっていました。
6月下旬~8月
7月以降はいよいよ期末になってきてレポート課題などもぼちぼちでてきたのですが、それよりも何よりもオンライン試験なるものが開催されることになってしまいまして、そこで激しく消耗しました。合併開講に巻き込まれてウェブカメラをオンにしてなんとか~みたいな試験も受けました。この話は多くの人がさんざん話題にしてきたので大きく取り上げるつもりはないんですが、生活空間と別にオンライン受講空間を物理的に有していればまだ生活にぬめぬめと大学が入り込んでくることもないんでしょうが、そんなことができるわけもなくオンライン試験のために再び環境を整えてという作業をする羽目になり、作業自体よりもそんなことのためにという感情面で面倒でした。試験はできませんでした。
世の中は落ち着いてきていたのでこのころから東京にでてバイトをしたり遊びに行ったりをし始めたんですが、数か月ぶりに人間に会うとコミュニケーションができなくなっていることに気づかされ、頭と行動が同期しませんでした。人間関係のリハビリが必要ですね(そもそも人間関係あったんですか?)。
レポート地獄というほど地獄でもないものの、資料に囲まれて死にそうになりながらレポートを書くのではなくレポートに必要なものだけ狙い撃ちして資料を収集してレポートを練るのは難しいもので、やはり大学図書館のような良質な環境は必要不可欠だなと痛感しました。資料はあればあるほど脳に効くと思うので専門書を買うなどして対応しなくちゃいけないのかな、資金力と良質な本屋が近所にあれば……と思う日々です。
おしまい
8/4現在の3年夏学期の振り返りでしたが、振り返ってみると普段と何が違うのかわからんというのが個人の感想です。もちろん大きく違うんですが、普段が遠すぎてちょっと立ち位置を見失っている気がします。そのうち、この騒動が落ち着いたらもう一回振り返ってみるといいかもしれません。
オンライン講義そのものについては個人的には環境があったので耐えられたもののこれが長期化すると頭以外の身体にも影響を及ぼしそうで心配です。オンライン試験はやるなといいたい。評価方法についてはまだまだ工夫の余地があると思いますので、部局をはじめとする関係者ご一同様が妙案を出すことをお祈り申し上げます。
これからについて、どうなるのかよくわからないし総長はSociety 5.0から帰ってきませんが、とりあえず秋学期に向けて環境整備と講義の受け方を調整していきたいです。この夏はフィールドワークと旅行を行いたかったのですが、これまた諸般の事情により流れてしまったので、旅テロリズムの広がる世間とうまいこと付き合いつつそれなりの夏を過ごします。
それではまた。
*1:コミアカ:https://comiaca.com/ 学部1年生から博士課程まで、仲間募集中
「おじさん(^^;リプライ」について
胎児ちゃん、こんにちは‼️
胎児ちゃん、
なんで、踊ってるのかな⁉️
おかあさんの、こころ💗が、わかって、
おそろしいのかな❓ ナンチャテ(^^;
こんにちは‼️
ぎんなんまんおじさん😅だヨ(*^^*)
おじさんは、ミスコンファイナリストたちに群がる、オジサンっぽいツイートを集める趣味をもってます‼️
とここで、決して「おじさん」全般が「オジサンっぽい」SNS言葉遣いをするわけではなく、また私が集めているサンプルはとても偏っている(具体的には大学ミスコンのツイッターアカウントへのリプライがほとんど)ためにSNS空間で起こっている事象を正確に描写されているとは言えないことに注意されたい。
本記事は「おじさん(^^;リプライ」についてメモ的に知見を共有することを目的としており、特段章節構成があるわけではない。どこから読んでも同じレベルの話を延々としている。まとまった話は今後1年以内にコミックアカデミーに出したい。出せたらいいなあ。
なぜなにおじさん(^^;のふしぎ
世の中には「各地(各大学)のミスコンを追っかける人々」がいることをご存じだろうか。もしこのブログに目を通すほど暇な方がいたら、ぜひ身近な大学ミスコンのファイナリストたちに聞いたり、あるいは彼女らのツイッターアカウントを探してフォロワーやツイートへのリプライをみたりしてほしい。
私はそのような人々のアカウントを大量に閲覧し共通点がないか探したところ、どうやらミスコンファイナリストたちにリプライを送ったりしてるのは「おじさん」ばかりらしいということに気づいた。
ミスコンおじさんの内訳としては、一部は地下アイドルを推すのが本業でミスコンにも手を出しているようである。さらに根拠がなく偏見に基づいた記述をすると、いわゆる"陽キャ"がおじさんになったタイプのミスコンおじさんも存在する*1。
ミスコンおじさんが生まれる構造について。ミスコン出場者は予選からWEB投票やSHOWROOM審査などで人気を評価される。そのため、各出場者はミスコンで勝つためにSNSなどを通じて自身をより多くの人々に売り込み、投票を促す必要がある。一方のおじさん達は若い女の子が頑張ってるのをみるのが大好きなのか、いつまでも若者気分なのか、興味を持ち"推し"を決めて応援する。
その際に、出場者側はその人々が固定客になるように「媚びを売る」。例えば自身の近況をアップロードしたり、自身の戦略に合わせた情報を公開したり、さらには群がってくるおじさん達のリプライに対して反応する。よく見られるのはミスコンのWEB投票を促すツイートに対する「ポチっとしました(^^ゞ」みたいなリプライに「ありがとう💗」などと返信するものである。
このようにしてミスコンおじさんが生まれると、おじさん達はもっとコミュニケートしたいと思うのかその候補者に入れ込んで挨拶ツイートへのリプライで自分語りめいたことをしたり、「○○ちゃんは~~なのカナ❓」などと質問したり、もっと知りたいなどとエスカレートしていく人もいる。
しかし、多くの場合学祭が終わるとミスコンのアカウントは削除・更新停止となる。するとおじさん達はそのパッションの行き場を失うことになる。
そうなったときおじさん達はどうするのか。ズバリ別の学祭ミスコン出場者へと向かう。
大学ミスコンは各地の大学で学祭のステージを最終的なゴールとして数か月かけて行われている。まるで農産物の産地カレンダーのように年間を通じて日本のどこかの大学ではミスコンが実施されているのである。そうなると、ミスコンおじさん達はいつでもミスコンを追いかけることができる。さらに、ファイナルの舞台はその大学の学祭会場となるが、それまでの過程においてはSNS上での活動が多くある。つまり、ミスコンの応援は場所によらずどこでも可能である。
こうしてミスコンおじさんは年中どこかのミスコンを追いかけるようになるのだ。
そもそもなぜ「おじさん(^^;」❓
ではなぜ「おじさん(^^;」は注目に値するのか。それは先述した下心めいた部分もさることながら(傍から見ていると正直気持ち悪いものも多々ある)、SNS上の文体が特徴的であるからだ。私は言語学を全く知らないのでその方面から説明することは難しいが、フィールドワークを通じて、"おじさん(^^;らしさ"をある程度理解してきたと自負している。
おじさんらしさその①
顔文字、emojiのセンス。これはもうどうしようもないが、どうしてそうなるのかはだいぶ知見が蓄積されているので後述する。
emojiでは 🤭 🥰 😳 🤩 このあたりの単体使用、コロケーションとしては「おはよー👋😆✨🔆」のようなものがある。
顔文字では本記事内にもたくさん登場してる (^^; や (*^^*) (^O^) あたりがよくある。
注意したいのが、決してこのような顔文字emojiを使うとおじさんっぽいというわけではない。ツイートの内容との相乗効果が重要である。
おじさんらしさその②
やたらと多い改行。
1文ごとに改行して1行あけて続きを書くことが多い。
見やすいかどうかは別として印象には残る。
おじさんらしさその③
とにかく、句読点を、こまめに打つ。これについては、リプライだから、そうしている、わけではなく、単純に、癖なのカナ❓
おじさんらしさその④
ツイート本文ではなく、bio欄にも特徴がいくつかある。
1つ目は位置情報を細かく載せている場合である。例えば「大阪府 大阪市 平野区」などと詳細に位置情報を掲載しているのは、何故なのだろうか。
2つ目に挙げられるのは自分の趣味を前面に押し出してることである。例えば車好きならば、愛車の写真をヘッダにしたり、その旨をbioに書く。これだけならばふつうのツイッターユーザーであるが、そのbio欄の持ち主がミスコン出場者たちにリプライを送っているさまはなかなか強い印象を与える。
大まかに以上のような形態のおじさんらしさというものが存在する。もちろん、すべての"らしさ"を身に着けているヤバイ人はいないと信じているが、この特徴のどこかがにじんでいるひとがほとんどだと思われる。
おじさん(^^;らしい文章を作りたい‼️
ここまで読んだ暇人ならばおじさん(^^;っぽさをだした文章を作りたいという気持ちが1ミリ(単位は不明)ぐらいあるだろう。
実は世の中的には「おじさんがLINEやメール、チャットで送ってくるような文章」は「おじさん構文」という名前で定着している。「おじさん文章ジェネレーター」はそのような文章を自動生成するために有効なツールである。
また、ツイッター上ではこのようなツイートがバズっていた。
『オジサンになりきろう講座』
— すれみ@メイク本出すよ (@_Smitter2) 2017年4月1日
これを見れば、オジサンの文章を作ることができます。
このツイートのリプライ欄であなたのオジサンの文(クソリプ)を待ってます。#おじさんあるある#あるある#すれみ1日1絵 pic.twitter.com/9n0RkJf0eN
両者ともに実によくまとまっているので是非参考にしておじさんらしさをめざしてほしい。
しかし、これらはいわば養殖のおじさん文章である。ホンモノ志向の方には是非ともツイッターで大学ミスコンのリプ欄を覗きに行ってほしい。
おじさん達はいかにしておじさん(^^;リプライを作っているのか、そのヒントは文章についてくるemojiや顔文字の入力方法にあると考えられる。ツイッターはどのクライアントからツイートしているか表示する機能があるので、それを見てみるとおじさん達はandroidやiPhone版のツイッター公式クライアントを利用しているらしい。となると、おじさん達のスマホのキーボードが鍵となる。
私はソニーのXperiaを使っているが、私のXperiaには"POBox Plus"というキーボードが標準搭載されている。このキーボード、なんと文字入力して絵文字に変換できる機能が搭載されているため、以下の画像のような予測変換が可能なのだ。
いかがでしたか❓ おじさんっぽさを感じる予測変換ですね。と言いたくなるような予測変換が実装されていることがわかるだろう。
POBox Plus に搭載されている顔文字・emoji予測変換はもともとはSocial IMEに登録されていたものだろうと睨んでいる(ソースはない、知っている方がいたら教えてください)が、Simejiなどとは異なり更新し続けて若者にキャッチアップしていない感がそこはかとなく漂っている。この微妙な雰囲気がおじさんらしさを生み出すのに一役買っているのではないだろうか。
終わりに
ここまでいろいろ書き連ねてきたが、ホンモノらしいリプライを天然モノのようにできるようになるには私も鍛え方が足りていない。狂人の真似とて大路を走らば、即ち狂人なり。あと20年ぐらいたつと自然なおじさん(^^;リプライをできるようになると思う。
*1:まれによく見るのは奥さんも子供もいる30代後半~40代前半のミスコンリプライer。子供との写真をうpしていたりするさまがみられる
油壺に出かけた話
どうもぎんなんまんです。今日出そうと思って書いてた「ここが不安だよ東京五輪」記事が諸事情で没になったので、油壺に行った時の話をまとめておきます。
油壺験潮場
が、現在の憲政記念館構内に存在します。この日本水準原点は東京湾の平均海面を0mとして水準測量によって決定されていますが、実際に水準原点の高さを点検する際の基準として用いられているのが油壺験潮場の潮位観測結果です。
京急三崎口駅からバスで油壺まで向かいます。油壺のあたりは海水浴場があるらしく、大変にぎやかな方々がお車や観光バスで乗り付けてきますがそれらには背を向けて道路沿いに少し歩くと
こんな看板が見えてきます。海岸へ下る階段があるのでそこから下っていくとまず見えてくるのは油壺の静かな湾……の前に基準水準点が出てきます。
柵と植物に囲われており本体は見られなかったのですが、日本全国にわずか83点しかないとのことでかなり希少性を感じます。
少し下ると油壺湾が見えてきます。
この写真の右手の建物が油壺験潮場の新しい施設です。
外観は新しいためかなりきれいです。内部にはエアコンがあるようで、案内板の下に室外機が設置されています。
またその奥には古い験潮場施設がありました。
この建屋は明治期から験潮に用いられていたもので、イギリス積みのレンガがよい雰囲気を出しています。平成30年には土木遺産に認定されたとのことで真新しい標識が取り付けられていました。
油壺の戦争遺跡
油壺験潮場のあたりを見渡すと、放棄されたと思われる桟橋があります。
とても古く、小さいこの桟橋についてググったところ、以下のブログを見つけました。
このブログによると、油壺には大戦末期に水上特攻兵器「震洋」の基地がおかれており、この桟橋も震洋のためのものであったとされています。
三浦半島は隆起によってできた海岸段丘の地形で、特に油壺周辺は露頭もみられる地域です。おそらく段丘崖を利用して特攻兵器を格納していたものと思われます。
*2019/08/14追記
国土地理院の「日本の典型地形」を閲覧していたところ、油壺湾はリアス式海岸とのことでした。事実誤認申し訳ありません。
地理院地図URL
明るい砂浜ときれいな海のまさに反対側にこのような遺跡が特に保護されたり案内されることなく存在しているということはもう少し知られてもよい事実なのではないかと思います。
おわり
ざっくりと油壺に出かけてきたよというおはなしでした。日本水準原点と日本経緯度原点はすでに訪問済みだったので唯一の心残りだった油壺に行けてよかったよかった、と思いきや、東京湾の平均海面の基準となっていた場所が都内にあるため、今度はそちらを訪問したいと思います。今では埋め立ての進行で東京湾と言い張るのは無理がありそうな土地ですがまたいつかブログにするつもりです。
戦争遺跡については完全に知らなかったためかなり驚きがありました。東京湾周辺の戦争遺跡としては、以前千葉県の大房岬*2にある大房岬要塞跡は行ったことがあるものの、油壺はかなり簡素な印象でした。
それではまた。
日本水準原点と日本経緯度原点に行ってきた
どうもぎんなんまんです。
今回は測量の日関連行事の一つとして行われた日本水準原点の公開と、その足で行った日本経緯度原点の話題です。
まず測量の日についてですが、下画像の通りです。関連行事は公益社団法人日本測量協会のホームページに掲載されています。
1.日本水準原点
有楽町から歩いて30分ほど、中央官庁を横目に国会議事堂の正面で右へ曲がったところにある憲政記念館の中庭に日本水準原点はあります。余談ですが国会議事堂の前は修学旅行の学生と警備の警察官や衛視だらけ、日本水準原点周辺はジジババと国土地理院職員だらけで大変居心地が悪かったです。なお職質童貞は守り抜きました。守りたいものを、守れる人に。
人垣がなければあまり目につかない雰囲気の小規模の建物(明治期の建築物らしい。菊の御紋と大日本帝国の文字が刻まれている。)でしたが、前の蓋が開けてあり、その中に日本水準原点がありました。正直に言ってクッソ地味でそれだけ見ても情報量はゼロです。基準なんてそんなもんという感じではありますが。
上の画像の白い部分が水晶でよく見ると真ん中に入っている赤い横線が日本水準原点らしいです。この石は地下10mの砂岩層に基礎があり、明治期に作られて以来、補修はされているものの本体部の取り換えのような工事はされていないとのことでした。
東京湾の平均海面を験潮所で測り、測量をリレーのようにしてここまで来てずれがないか毎年確認しているとのことで、立地理由は武蔵野台地の端である程度安定した地盤であり、陸軍参謀本部の敷地で陸地測量部があったからだそうです。伝聞調の理由は国土地理院職員さんの説明受け売りだから、であります。
実は日本水準原点周辺には複数の水準点があります。一つは電子基準点東京千代田で、日本水準原点と同じ地盤に基礎があり、毎秒測量しています。ほかには、一等水準点甲、乙、丙、丁、戊が日本水準原点を囲むように存在していますが、これらは日本水準原点が不測の事態に遭遇した時のためのサブです。
2.日本経緯度原点
さて、標高の基準を見たら緯度経度の基準を見たくなるのが人間の性です。欲にまみれた私は港区の麻布台にある日本経緯度原点へ向かいました。ロシア大使館の近く、アフガニスタン大使館の指呼の間にで迷ったため、職質童貞を奪われかけましたが何とか貞操を守り抜き、無事到達しました。アフガニスタン大使館に向かって右、アメリカンクラブの左にある草が生えてる空き地に日本経緯度原点はあります。
日本水準原点とは比べ物にならないほど雑で手入れされてない空き地でした。土管転がしておけばドラえもんとかのび太君が生えてきそうな感じです。
逆張りクンなので裏から回り込んで撮ったのしかないのですがこんな感じ。台座は立派ですが周りが本当にひどくて笑えます。
3.おわりに
スタァライト、それは、星の光に導かれる女神達の物語。ぶつかり、いさかい、すれ違いながらも結ばれていく絆。
東京モノレール羽田空港線散歩
ぎんなんまん(ぎんなんまん (@Ginnannman) | Twitter)です。
前回(色が変わるとブログを書くらしい - おじさん(^^;の戯言)からだいぶ時間がたってしまったが*1、今回は散歩の記録を付けた。
1.経緯
実は地元の千葉都市モノレールは歩き潰しをしたことがあった*2ため、今回次なる目標を探していたところ、東京モノレール羽田空港線というちょうどよさげな路線が見つかった。
ゴールデンウィークなにもしないのもいいけどなんかしてみるのもいいと思ったので軽率に連休最終日、5月6日(月)に実施した。
2.概要
東京モノレール羽田空港線についてゆるふわな説明をすると、浜松町駅と羽田空港を結ぶ
3.本題
ここからは各駅間について雑記コーナー。GPSでとったログ等の記録は4.結果にまとめて記載してあるが、ここでは写真を交えながら雑感を記述する。
1.モノレール浜松町~天王洲アイル (営業キロ4.0km)
のっけからJR浜松町駅山手線ホームに立つモノレールの橋脚。
外から見るとこんな感じ。空港に行くのにわくわく感とかそういうものを一切感じさせないところは嫌いじゃない。
ひたすらにモノレールと地図をにらみながら歩くこと約1時間、天王洲アイルお嬢様の御御足駅のもとへ到着。階段を昇ってビルの回転ドアを押しまた昇るとお嬢様のご尊顔駅に着いた。
2.天王洲アイル~大井競馬場前(3.1km)
天王洲アイルをでるとしばらくはモノレールは京浜運河上を通るので平行して進む。大井競馬場前の手前の堤防沿いから再びモノレールと合流した。
割とサクサクと大井競馬場前までついた。
3.大井競馬場前~流通センター(1.6km)
駅間距離に注目してほしいのだが、浜松町~天王洲アイル、天王洲アイル~大井競馬場前までに比べて格段に短距離である。が、いかにも湾岸な大規模公園や工場、物流倉庫が目立つようになりなんとなく市街ではない雰囲気も感じられる。
京浜運河沿いに抜けられるかな?と思ったができず引き返したり、なんとなく腹減りの気配がしてきたりしつつも流通センターへ。正体を現したな、という感想がでてきそうな流通センター駅である。
4.流通センター~昭和島(1.2km)
首都高速1号線に沿うようにわずかな距離ではあるが昭和島を目指し出発。
すると金網フェンスの向こうにモノレールの基地が見えて興奮
興奮している間も自転車に乗った野球少年らに追い抜いかれたがそんなのは知らないとばかりに写真撮影に励んでいたら昭和島駅についてしまった。
5.昭和島~整備場(1.9km)
実はこの散歩においてもっとも苦痛でもっともグッときたのはこの区間であった。詳しい移動経路は後述のGPSログを見るとわかるが、直線的に移動することが不可能で大回りを強いられた。さらにお昼時でおなかが空くものの近隣に店はなく、コンビニは通り過ぎてしまうなどトラブルに見舞われた(最後は自業自得この企画自体自業自得)。
しかし、この経路でとてもかっこいい橋があったので紹介したい。それは首都高の羽田可動橋である。なんとこの橋、水上にある橋の中央部でぱっくり割れて回転することで大型船の航行を可能にした世にも珍しい(?)橋なのである。語彙力不足で説明が伝わらないと思うので実際の画像をみてほしい。
どうだろうか?こんな巨大な構造物が動く光景を見られたらとても興奮しそうではないか!
……ところが、である。この橋、実は現在稼働を停止していて再び利用されることがあるのかわからない。首都高の将来的な交通量増加を見越して保存されているようだが、果たしてその日は来るのだろうか?
興奮さめやらぬまま歩みを進めるとANAの建物、続いてクロネコヤマトの巨大な建築物が見えてくる。
「クロノゲート」という中二病っぽいネーミングセンスをわらうツイートをしようとした瞬間に転ぶなどという悲劇を乗り越えて、環八通りへ出た。さすがに空腹に耐えかねて近くのラーメン屋に凸、塩分に苦しみながら散歩を再開した。
穴守橋に来るとすぐそこに羽田空港があり、穴守橋自体も航空機をモチーフにしたデザインでテンションが上がった。ここを渡り右折すれば天空橋駅なのだが、今回の目的は歩き潰し、あえて左に折れ、整備場へ向かった。
簡素すぎて、整備すべきはこの駅じゃないの?といいたくなるような整備場駅へ到着した。
6.整備場~天空橋(0.8km)
来た道を戻り天空橋へ向かう。
あっという間である。
7.天空橋~羽田空港国際線ビル(1.4km)
いよいよ本格的に羽田空港に侵入ということでうきうきが止まらなくなりつつも立ち入り禁止エリアに気を付けながら行動を開始。出鼻をくじくように鳥居と大量の張り紙に出会った。
気を取り直してどんどん行く。道なりにすすむだけである。
テープで運輸省の字を消した跡もあり歴史を感じながらの散歩。だんだんと中心部に近づいてきた。
すぐそこにドーンと飛行機がある日常が広がっており足早にターミナルへ向かった。
8.羽田空港国際線ビル~新整備場(2.1km)
警備員や警察官の目から逃れるようにして*3さっさとターミナルから脱出して新整備場駅へ向かった。
滑走路下の長いトンネルを通って出るとJALのメンテナンスセンターなどがあり、身分証を首から下げた人々が行き交うのが目立ってくる。
まるで地下鉄の入口のような新整備場駅入口である。
9.新整備場~羽田空港第1ビル(0.8km)
ここから先は関係者以外立入禁止を避けて移動した。再三になるがGPSのログでどういう移動かぜひご確認いただきたい。初見でクリアできたのは割と運が良かったと思う。
残すは第2ターミナルのみとなった。
10.羽田空港第1ビル~羽田空港第2ビル(0.9km)
ターミナル間の移動もモノレールの線に沿ってやろうとしたら、なぜかだいぶ遠回りになってしまった。
高速道路が貫通するように走っていることで歩行者の道が三次元移動になっており見通しがきかないことは不安でもあったが無事に着いた。
4.結果・感想
結果は昼食休憩込で6時間10分、31.8kmであった。また、GPSの記録については下記リンクを利用してほしい。
2019年05月06日 08時57分41秒 on gpx2kml.com - Free online gpx to kml converter
全体的に平地がほとんどであり肉体的困難さには欠けるが、周囲の環境はオフィス街から倉庫物流、低層住宅街など変化にとんでおり素晴らしいものだった。また、空港へ徒歩で行けるのでぜひやってみてはどうだろうか。また、今回撮影した橋名板についてはいつか取り上げたいと思う。
誤字脱字やこんなところ歩くと楽しいよなどの情報があればコメントいただけるとありがたい。
5.最後に
天王洲アイルお嬢様が気になって仕方がないのだがもしかして、恋?
色が変わるとブログを書くらしい
ぎんなんまんです(^^;
AtCoderで色が変わったのでブログをやってみようという気分。
1.灰色になるまでにやったこと
競技プログラミングについて認知したのが約3年前。そこから特に興味を持つことなく過ごしてきたが、大学に入って半年もたつと「精進」「競プロ」「tourist」などの謎単語がTwitter上に氾濫するようになった。また、宅浪していた友人から競プロに関する話題を聞き、周囲の人間が「AtCoder」なるものに熱をあげていることを知った。
しかしなんとなく興味あるけどまあいっか、と放置していたところ、友人と話す中で何の気まぐれかやってみようかという気になりはじめてみた次第*1。
以下にやったことを簡単に記述する。
1.AtCoderのWebページで新規登録
2."AtCoder Programming Guide for beginners (APG4b)"でC++のお勉強をする
なお、私は複合代入演算子の章までしかやっていない状態でAtCoder Beginner Contest (後述)に参加した。
3.AtCoder.jpのホームにでている"AtCoder Beginnner Contest hoge 告知"(hogeは数字)から参加登録をして、コンテスト開始時刻を待つ。
4.与えられた問題はA問題がいちばん易しいのでとにかく前から解く。問題文の言ってることが分からなくなったら入力例を見る。
5.晴れて無色から有色になれる。やったね!
2.これからやるべきこと
やるべきことはたくさんあるがまずはチュートリアルを終わらせる。豊富にある過去問を解いてみたりする。
おすすめされたので、渡部有隆著(2015). プログラミングコンテスト攻略のためのアルゴリズムとデータ構造 マイナビ出版
を購入した。高い本を買うと簡単にはやめられなくなる(コンコルド効果)のでころころ気が変わる人にとっては有用かなと。お勉強します。
3.最後に
いかがでしたでしょうか。
誰でも簡単に競技プログラミングに参加した気になれる機会があるのをお分かりいただけたと思います。
ということでいろいろ軽率にはじめてみるのも悪くない。
*1:プログラミング経験はほぼない